8時過ぎに起床。ホテルから外を眺めると、ビルや建物の屋根に昨日降った雪がまだ残っていた。1時間かけてウダウダと身支度を整えて、朝食を食べにホテルを出た。昨日降った雪が解けて、あらゆる建物の軒先から水が滴っている。注意しないとびしょ濡れになってしまう。(^^;)
昨日入った鐘閣のお店にほど近い、里門(イムン)ソルロンタンに入ることにした。ガイドブックによると、100年続くソルロンタン(牛の肉や内臓、骨を煮込んだスープ)の老舗で、昔の豪邸を再現した店舗らしい。がっしりした木枠の入り口を開けると、他の店舗に比べて天井が高く、内部が広々して見える。テーブルにあるキムチはセルフサービスらしい。食べたくない時は食べなくていいので、この方がありがたい。メニューはソルロンタンと他に2つくらいしかなかったので、素直に目的の物を注文。白濁したスープにご飯とソーメン、牛肉が何枚か。塩やこしょう、長ネギで自分の好きな味に調整しながら食べるらしい。確かに何もしないと、味の薄い白いお湯である(^_^;)。
店ではずっと歌謡番組が流れていた。おそらく素人のど自慢大会だと思われるが、みんなプロ並みにうまい。歌われる曲は殆ど演歌やムード歌謡だった。お腹を満たしたので、次のミッションに移る。今夜のDream Theaterのライブの会場を確認するために、地下鉄を乗り継いでクワンナルへ向かった。電車で20分くらいだろうか。地下から広々とした改札に上がってくると、冷たい風が吹き込んでくる。しかし昨日と違って少し日が差すので、気分的にはまだ楽だ。階段を上ると、信号の向こう左方遠方に「Melon AX」の緑色のロゴを付けた金属葺きの建物が見える。見たままに歩を進めていくと、手前の建物の駐車場に入ってしまったが、一応Melon Axホールに出ることが出来た(裏道だったようだ)。おお!ちゃんとDTの横断幕が貼ってありますよ!やる気のないももも俄然盛り上がる。写真を何枚か取った後、ホールの裏の方へ回ってみる。会場横にはロッカーがあって、日本語の説明書きも貼ってあった。私は知らなかったが、日本のバンドもこのホールでライブをやったことがあるそうだ。マーチャンダイズが会場の外で売られるのか、中なのか、それでロッカーに入れる物が決まってくるのだが・・・。
クワンナル駅で、地下鉄に乗る前にトイレに寄った。中に小さな自動販売機があって、生理用ナプキンかちり紙が売られているのかと思ったらコンドームだった。他の駅や男子トイレで売っていたのか確認できなかった。個人的には、日本の性教育の姿勢に疑問を持っているので、女子トイレで普通に避妊具を売っているのは良いことだと思った。「臭い物にふた」的な発想は何も解決しないよな。(帰りのバスの中で見たTVでも「ゴムを付けましょう」みたいなCMをやっていた。見た感じでは性病対策広告だったと思う)
会場までの経路は確認できたので、今日の観光:景福宮(キョンボックン)へ向かった。
どーん前回の旅行では目の前まで行ったものの、雨と工事で見学を諦めた、韓国最古の王宮である。景福宮駅を出ると、すぐ近くに国立故宮博物館があり、右手に「興礼門」がある広場に出る。広場はまだ舗装が終わっていないので、昨日降った雪が解け、地面がぐしゃぐしゃである。門の前には彩りあざやかな制服を着た衛兵達が旗や剣、盾を持って立っている。門から衛兵隊長らしい若者が出てきて号令を掛け、それに合わせて衛兵が配置を変えてゆく。整然とした動きとは対照的に、観光客は好き勝手に衛兵の隣に立って記念写真を撮ってゆく。日本人的感覚ではちょっと腰が引けてしまうが、コレが韓国スタイルらしい。私たちも写真を撮って、中へ入ろうかという時、隊長は副隊長に付け髭を直してもらっていた(^_^;)。
興礼門をくぐると、回廊がグルッと周りを囲み、興礼門と勤政門の途中には人工的に造られた水路とが横切る。この水は俗と聖を分ける境界だという。門から中央をまっすぐ貫く一段高い道は、時の王以外の人間が歩くことは禁じられていたそうだ。宮殿の階段の八方には干支や風水に因んだ動物の彫刻を飾り、魔を払っている。北側にはねずみ(子)と玄武(北)、南側には馬(午)と朱雀(南)、と言った感じ。他、日本語堪能なガイドさんから聞いた話では
☆景福宮は1395年(日本では室町時代)に創建され、1592年に豊臣秀吉の朝鮮出兵の時消失してしまった。以後300年近く放置されていたが、1868年(明治元年)に再建された。その後も時代のうねりに飲み込まれ、実質30年ほどしか利用されなかったらしい。日本が侵略していた時代にも建物が壊されたり手が加えられてしまったが、1990年から復元工事が行われている。今回の工事では1868年の姿を目指して工事が進められている。
☆屋根の棟や隅棟の部分に、小さな人や動物を型どったっ彫刻が飾られていることがある(画像左)。これは西遊記の登場人物がモチーフになっていて、魔よけの意味があるらしい。大きな屋根だと、最高11体も飾られた、と言っていた。
☆勤政殿の前に役人が並ぶために、その位が彫り込まれた石がある(画像右)。東側には文人、西側には軍人が並んだ。東側の方が地位が高いそうで、昔の朝鮮では軍力より文化を重んじていたそうだ。相撲も東の横綱の方が地位が上ですね。
☆公の行事で王が移動する時、どんな短い距離でも御輿に乗って移動したらしい。例えば跡継ぎを作るための夜(^_^;)も、御輿に乗って王の寝殿から后の寝殿へ移動したらしい。今の感覚からしたら余計なお世話もいいところだが、昔は、本当に国の一大事だったんだな。(私的な用事では、普通に歩いて移動したようです)
☆建物の名前も風水に因んだ名前が付けられている。王と臣下達が政治の話し合いに使った思政殿の東側には「万春殿」、西側には「千秋殿」がある。太陽が昇る東側には物の始まり(芽吹く季節)、日が沈む西側には成就する(実る季節)の事から名付けられている。儒教に因んだ名前があり、例えばソウル市の有名な南大門の正式名称は「崇礼門」、東大門は「興仁之門」と言うが、これは儒教の五常(仁、義、礼、智、信)由来だそうな。昔の人は建物に付けられた名前でも方角が分かったんですね。
それぞれをまとめるとこんな感じ。
五徳 聖獣 四季 方位 色 五行 感情 仁 青龍 春 東 青 木 怒り 義 白虎 秋 西 白 金 悲しみ 礼 朱雀 夏 南 赤 火 喜び 智 玄武 冬 北 黒 水 恐れ 信 (人/黄龍) 土用 中央 黄 土 憂い
☆韓国の有名な床暖房・オンドルは、昔は土台下で薪や炭を燃やし、その暖気を石を並べて作った配管を通して床を暖めたらしい。建物の裏手に暖気がぬける煙突があり、建物によっては煉瓦と漆喰で美しく仕上げられていた。オンドルがある床は紙張りで、何重にも貼られた後、油などで磨かれたそうだ。現在はガスで沸かした温水を床下に流すのが主流。
☆中心線から外れて西側にある迎賓施設「慶会楼」は高床になっていて、夏はとても涼しそうだが、私たちが観た日は、周りの池には氷が張っていた。外周の土台は角形、中の土台は丸形の石柱が使われていて、陰陽道的に意味があると言っていたけど、なんだったか忘れた。
☆ガイドさんが日本人に気を遣ってチャングムの話題を少し振ってくれた。古い記録では確かにチャングムの名前が数カ所出てくるらしいのだが、大した記述ではないらしい。ドラマは殆ど想像の物、と言っていた。(ShibuももはTVドラマをまったく見ないので、その話自体よく知らない。)
☆玉座の後ろには五山日月図(間違えて覚えてるかも)という、とてもありがたい絵が飾られていた。これは五行と太陽と月を従える王の背後にしか据えられることが許されなかった。10,000ウォン札にも描き込まれている。王を象徴する聖獣・龍はいつもつがいで描かれていて、これは陰陽の教えから来ているそう。昔に描かれた龍は4本指だったが、1868年の再建時に作られた天井画の龍は7本指だった。王様がより強大な力を持つことを願ったのだろう、とのこと。(日本で普通描かれる龍は3本指だったと思う)
☆后や王の母親など、女性が使う寝殿の石垣や塀には、花など美しい文様が彫刻が施されているが、王や東宮など男性が使う建物のはシンプルな普通の石垣。
☆景福宮北側にある香遠亭(画像左)は、人口に作られた池の中に立ち、2階建て。1階はオンドルが付いている。夏は2階、冬は1階を利用したそうな。こんなところかな。
想像以上に広い宮内で、ガイドツアーは1時間以上になったが、とても楽しめた。昨日降った雪で足元から冷えるので、終わりの頃にはガイドさんも寒さで投げやりになっていたような気がする。(景福宮の他の写真はこちら・新規ウィンドウが開きます)
明洞へ出て、遅い昼食。前回も行った百済参鶏湯(ペッチェサンゲタン)でサンゲタンと砂肝の炒め物を注文。食べきれないと困るのでビールはやめておいたが、それでもかなり満腹になった。サムゲタンは「あれ、こんなモンだったかな?」という普通な味だったが、砂肝はとても美味しかった。それからライブに備えて、一度ホテルに帰ることにした。しかし慣れない寒さと見学で疲れたのか、地下鉄を乗り間違えて逆方向へ行くは、乙支路4街で出口を見失うは、余計な回り道をしてホテルに帰還。ライブへ向かう時は気を付けないと。
ところで、韓国の缶コーヒーって、まずいよね?(^_^;)
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