実録〜私はこうしてマシンガーになった〜

 初めて彼らの姿を見たのは、友人に誘われて行った1998年10月17日、日比谷野外音楽堂のライブでした。「ファミレス・ボンバーっていう面白い曲唄ってるんだよ」と言われ、チケット代が2,000円と破格だったので試しに行ってみることにしました。初めての、しかも曲さえ聴いたことがないバンドに何を期待したらよいか分からず、ただボーっと見ていました。歌詞や関西弁のMCは面白くて、"ジャーマンパワー"に衝撃を受けましたが(この曲はジャーマンメタル好きな人が聴いたら全員脱力すると思う)、すぐにファンにはなりませんでした。それよりライブのノリが筋少のライブを思い起こさせたんですよ。合いの手、ツッコミ、振り付け。ヘヴィで的確な演奏にコミカルな歌詞。筋少の音楽の方がもっといろんな要素が入っていたけど・・・。ちょうど筋少があまり活動的ではなかった頃だったので、その寂しさの代償と感じ取ってしまったのかもしれません。それから友人に何度かライブに誘われましたが、行くことはありませんでした。

 次に彼らを観たのは2000年1月7日、初武道館ライブでした。正月からマシンガンズというのも自分らしくて良いなぁ、と張り切って行きました。音悪かったな〜(^_^;)。MCがたるくて、しかも「お客さん!どーですかー!!?」とシャウトされるとますます筋少っぽくて、失笑してしまいました。あまり良い印象がなかったライブでしたが、ファンの声援の暖かさと、"Iron Cross"のAnchangの邪悪ぶりとライティングのかっこよさは心に焼き付きました。「ちょっと良いかもしれない・・・」
(余談:この日偶然に中学時代の部活の友人と遭遇。おお友よ(笑)!!)

 その次のライブは2000年3月30日、伝説の後楽園ホールのイベント(Girls Only)。この日は何があったかあまり覚えてないくらい凄かったんです。一種の宗教的体験だったと思います。ロックのライブは幾度となく行ってましたけど、命の危険を感じるくらい大暴れしたのはこの日が最初で最後です。スピードナンバー中心のセットにAnchangやNoisyが「頭振れー!!!」と煽りまくる。倒れそうならバンギングしなければいいんですが、「(前日のBoys Onlyの)男の方が凄かったぞ、てめーら!」とか言われると、ステージ上のメンバーに「負けるかオラー!!」とムキになってしまうんですね。その上Helloweenの"I'm Alive"なんてカヴァーされた日には「もうどうにでもして」って感じで。ライブが終わった後、首が据わりませんでした(笑)。これは筋少のライブにはありえませんでした。筋少は大槻ケンヂの独自の世界観と音楽に没入して(ヘドバンもしたけど)楽しむ為に行っていました。でも
このライブは戦場でした。

 戦友というモノに対して、人間は勝手に深い思い入れを抱いてしまいます。このライブの後マシンガンズにハマったのは言うまでもありません。生まれて初めてファンクラブというものにも入りました(^_^;)。

 今の私が聴く音楽の中心はプログレやジャズ寄りの音楽です。でもメタルにハマっていた中学・高校生の頃に作られた脳神経回路はまだ生きていたようで、「無心に頭を振る快感」を呼び覚ましてくれたのがSex Machinegunsだったのです。メンバーとほぼ同世代なので、曲の端々に出てくるフレーズに、同じバンドが好きだったんだなという匂いを感じてしまうのもツボです。Helloweenのような高速メロディアス、Motley CrueのようなクールなRock n' Roll、ベイエリアスラッシュを通過したリフの切れ味、歴代ギターヒーローのエッセンスを消化した泣きのメロディ。モダン・ヘヴィネス。すべてを柔軟に取り入れ、SM流ヘヴィ・メタルミュージックに仕立ててしまうAnchangの才能に脱帽です。


(2001.12.07 もも)



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